はじめに

「トウゲノグンゾウ」ってNHKで昔放送してたのは知っていたけれど、最近まで、司馬遼太郎の作品みたいに人の名前だと思っていた。最近、Youtubeで目に触れた。「峠の群像」とある。ちょっと見た。緒形拳松平健がいた。ちょっとネットで調べてみたら、すぐに引き付けられた。これって、バブルがはじけたあの頃からなのか、車も半導体もラジカセも冷蔵庫も世界に売りまくっていたはずなのに、諸々の国の背中を、追い駆ける側になってしまった日本の30年を、平成という時代を見越したような作品だったのではなかったのか?5月に終わった平成って時代と重なるのではないか?

放送は1982年。昭和57年は高校に入る少し前。大船渡の盛の商店街がまだまだ元気で、小さな書店、僅かばかりの小遣いを握りしめ「こち亀」を1冊買っては満足していた頃。歴史も社会も知るはずもない。体育ジャージにヘルメットで自転車こいでた小僧には、時代劇は無理。ザ・ベストテンは見ていても、これは見ていない。

 

早速、ネットで古本を購入!届いた!帯には”サラリーマン必読の書”とある。なるほど、あの頃の第一線の日本経済をけん引した、いや、けん引して頂いた諸先輩方は、この程度の本はガンガン、バリバリと読んでいたに違いない。時には、居酒屋、時にはコーヒーショップ、時には自宅で、また通勤電車のギュウギュウにも屈せずに、必読の書を開いたに違いない。

届いた文庫本、日本放送協会出版、上・中・下、机の上に重ねた。帯の最後はこのように括ってある。“堺屋太一の書下ろし巨編完結”。目の前のこれを見ただけで確かに巨編だ。超前向きな意気込みと、探求心に駆られて買ったけれど、買ってはみたけれど、こんな超大作、分厚い本は久し振り。何だか机の上に重ねただけで満足しそう。諸先輩方は凄い。

まず1冊目、上を100ページ読んで、今の感想。読書感想文。

尊敬する作家の1人、立花隆の「知のソフトウェア」は作家、ジャーナリストの「知」のインプットとアウトプットのプロセスを描いた名著である。

ロッキード事件というのは、まだ小学生低学年、右も左も、勿論、内閣も国会も知らなかった。後にたった1人のジャーナリストが日本の政権を転覆させるに至る過程に多大な影響を与えたのだと知り、非常に関心を抱くようになった。この本には情報を如何に構築していくかの方法論の一つとしてスクラップ作成があげられているのだが、ここでのロッキード事件でのスクラップ製作の紹介はとても印象深いものがある。

 最近、考えさせられる。考えること自体が無駄だろうとも思う。自分が歳を取ったせいなのか、昭和の方々に手を掛けて頂き育てて貰ったせいなのか、単純に自分の環境なのか、根拠のない自信というのか、知らなくても、飄々と口にする連中を目の当たりにする。そのように感じる機会がとっても多いのだ。つまりだ、先に紹介した「知のソフトウェア」から考えると、作家の立花隆氏にはとっても失礼とは思うけれど、この本のこの連中のそれを重ねてみると、そもそも根本的にインプットしてない。本を読んだり人の言葉から学んだり、何かを実践してみたり、そんな姿勢が微塵もない。それなのに、どうしてなのか、アウトプットしてる。でも、それって結局アウトプットになってない。